泣き言や愚痴。
相談事を誰かに話して。
それでスッキリする人は、とても素直で可愛い人だと思う。
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今日、友人との電話で「どうして?」と訊かれた。
誰かに弱音を吐いたり、愚痴を言ったり、相談したり
どうして、そういうことをあまりしないの?と。
どうして、言った後に後悔するの?と。
まれ、なのでしょうか。
誰かに弱音を吐いたり
愚痴を言ったり
相談したりしたあとに後悔してしまう人間は、あまりいないのかな?
私は、誰かにそうしてしまったことを、ほんの少し、悔いてしまう節がある。
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それは、自分の弱い部分を人に知られるのが嫌だからというわけではなく。
ただたんに、考え方の違いなのだ。
誰かと時間を共有して。
その時間をどう使うか。と考えたとき。
私は、みんなで楽しく、笑って過ごせれば、と思う。
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時間には限りがある。
この世界の時間に限りがなくとも、私の時間はいつか終わってしまう。
だから。
悲しい顔を相手にさせるよりも、一緒にいるときを楽しみたい。
相談して、一緒に悩んでもらえることはとても嬉しいし、幸せなことだと思うけれど。
そうしている間に、もっと他にできることがあるのではないか、と思うのです。
弱音や愚痴を言って、どんよりするより。
自分で解決できる事柄を相談して、相手を悩ませてしまうより。
お互いが、一緒にいてよかった、と思えるような何かをしたい。
そんな風に、思うのです。
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弱音を吐いたり、愚痴を言ったり、相談事をすることが悪いことだとか。
よくないことだとは思いません。
それによってその人が楽になったり、新たな発見をすることはとても素晴らしいことだと思います。
そうやって時間を共有することも、決して無駄ではないし。
それが、その人を後押しする力になるときもあります。
話したい、と思ったときに話せる相手がいて。
聞いてくれる相手がいる、というだけで、幸せなことですし。
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ただ、私の場合。
そうするよりも先に、そういう想いがあるから。
いつも、相談というよりも、こんなことがあったんだという事後報告になってしまうのです。
そのせいか。
もっと頼っていいんだよ。とか。
辛いときは辛いって。
泣きたいときは泣いていいんだよ、とよく言われますが。
それは頼っていないからではなく。
我慢しているわけでもないのです。
私は、私なりに相談をし、弱音を聴いてもらっています。
充分すぎるほど、みんなから色々なものを貰って。
これ以上、を望むつもりはありません。
友人からしてみると、足りない。らしいのですが。
もっと話してほしい。という気持ちが解らないわけではありません。
けれど、話さないからといって、悲しまないでほしいのです。
信頼されていないから相談してくれないんだ。とか。
頼りないから、話したくないの?とか。
そんなこと、絶対にありません。
断言できます。
むしろ、大好きだからこそ、の行動なのです。
解ってくれ、とは言いません。
どうか、どこか心の片隅に置いておいてください。
『話さない』ということは、『話したくない』ということではない、ということ。
それが上辺だけの付き合いに繋がるとは思わないでください。
その時々、事柄の最中に話さないだけで、隠しているわけではなく。
伝えることを拒否しているわけでもないのです。
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私は、あんまり器用でもないし胡散臭いし(笑)
捻くれた奴だけど。
これだけは胸を張って言える。
君を、嫌いになんて、ならないから。
嫌なところも。
良いところも。
在っていいんだ。
在って当然だもの。
そうやって、お互いにお互いを知って
これからも歩んでいけたらいいなぁって、思う。
午後5時50分。
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